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■メッセージNo.30  「料理人,リハビリテーション専門家,死刑執行人」

Carlo Perfetti

なぜリハビリテーション専門家は認知運動療法の正しさを理解しようとしないのか?

我々は認知運動療法を支える信念において,あらゆる疾患の運動機能回復が筋収縮の出現と同時に起こるとは考えない。人間というものを一種の自動的に動く解剖標本として理解しようとは考えない。なんらかの統合された脳の認知過程が回復することなしに,関節運動や筋収縮の断片を足し合わせただけのものが回復につながるとは考えない.生命を肉塊におとしめ身体をもの言わぬ物体として扱おうなどとは考えない。

恐らく、多くのリハビリテーション専門家は,料理人か死刑執行人がそうするように、冷徹な無関心さをもって人間の肉体を切り刻んでいるのであろう.

我々は人間の運動を亡霊にまたがって旅をする機械にみたてたりはしないし,流動的な神経支配を介してさまざまな筋収縮を生み出す電気刺激もそうした亡霊のひとつにすぎないと考える.

運動は行為であり,行為は現実との相互作用によって創発される。それは究極のところ認知,すなわち世界への意味の付与に至るものであり,そうした意図に筋収縮すらも包含される。

こうした観点から捉えられる身体は,現実との対話のためにあらかじめ企画される受容表面のより本来の役割を担うこととなる。生きるという経験がもつ意味の中核としての身体性である.

こうしたことすべてから強調したいことは、自己が探索した相互作用の意味を確認し,予測しえたものと知覚しえたものとの比較を可能にする脳の予測機構が明らかに存在するということである.

運動とは認知であり,体験から生まれ,そして経験を形成するものであり,言語を通しても表現することが可能なものである。そういった意味で,患者を観察するにあたって,彼らの病態を解釈するにあたって,そして治療を組織化するにあたって、考慮しなければならないものが浮び上がってくる。

認知運動療法は,人間が問題をさまざまに解こうとする際に、現実を認知する能力の回復につながる働きを活性化させなければならない状況をつくりだすという形に,その姿を変える。

身体の細分化、身体を介して世界に意味を付与するための認知運動療法。その治療は,これまで以上に、より複雑なものとなる。

* Aldo Pieroni:「 Biblioteca Aleksandr Romanovic Lurija」ホームページに掲載されたPerfettiのエッセイである(中村三夫訳・宮本省三一部改変)。

* これをモチーフに、リハビリテーション身体論―人間機械論からの脱却―,認知運動療法研究、第5号、p21−35,2005を書いた。中村三夫氏に感謝する。

2006.3.29

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